懇親会

 平成24年7月7日(土)第30回淑瞳会が神戸ポートピアホテルにおいて開催されました。私は懇親会での司会を担当させていただきましたのでそこでの報告をさせていただきます。今年の淑瞳会の参加者は約100名で、女性会員と男性理事の先生方が例年以上に多く参加くださいました。栗本康夫先生の素晴らしいピアノ演奏の余韻がまだ胸に響いているなか懇親会の開会です。まず片上千加子委員長の開会挨拶のあと、兵庫県眼科医会会長柴原榮先生からお祝辞をいただき、乾杯のご発声は兵庫県眼科医会副会長平松邦夫先生にお願いしました。

 今年の淑瞳会は30周年という区切りの年度でしたので、淑瞳会の歴史を振り返る時間を設けました。これまでの淑瞳会を振り返ると4つの大きな時代がありました。兵庫県眼科医会女性医師の会(現在の淑瞳会)は、兵庫県眼科医会が30周年を迎えた昭和57年に、当時の有澤武会長のご発案で発足いたしました。第1回目の女医会をご準備くださったのは、当時の県理事だった二宮淑子先生と伊藤須美子先生です。第1回目会合の参加者は40名程度でしたが、二宮先生は1回目と2回目の参加者にアンケートをとり、その結果を「日本の眼科」に投稿し、女医会をどのようなスタイルにして開催すれば充実するのかを考察され、女医会の根幹の部分の礎を作られました。


その後、昭和61年の第5回目からは伊田幸子先生と兜坂里江先生に女医会の世話係が託され、現在の淑瞳会のスタイルに近い「楽しい企画と美味しいお料理を兼ねそろえた女医会」の基本形が作られました。「淑瞳会」という名称は、第1回からあったわけではなく平成元年の伊田先生がお世話くださっていた時に有澤先生が名付け親となり「淑瞳会」という名称が発足いたしました。「淑瞳会」の初代委員長は、伊田幸子先生ということになります。平成10年の第16回のときに、淑瞳会はそれまでの親睦福祉部の一部であったところから独立し、一つの委員会組織となりました。当時の兵庫県眼科医会常任理事でいらした安井多津子先生の提案です。その安井先生が平成10年から16年までの間の委員長を務められました。その後、平成17年より22年まで繪野尚子先生が委員長を務められました。繪野先生はとにかく手作りで!と言われるのが口癖で、アットホームな会合を目指されていました。


そして平成23年より現在の片上千加子委員長へと引き継がれております。
これまでの30年の歴史を継続させることは決して簡単なことではなかったと思います。それぞれの時代の委員長のご努力と、その時代を支えた淑瞳会委員お一人お一人のご尽力があってこその継続だと思われます。不易流行という言葉がありますが、古き良きものを大切にしながら時代にあわせた変化もとりいれていくという精神で、淑瞳会が継続されてきたのではないでしょうか。

 今回も他府県からの多くの先生がご出席くださいました。大阪府からは中川やよい先生と吉田晴子先生と澤井貞子先生が、岡山県からは坂口紀子先生と吉武秀子先生が、香川県からは大内通江先生と村田晶子先生が、京都府からは佐藤雅子先生が来られてお祝辞のお言葉をくださいました。また新規開業・新入会員紹介では、新規開業では立花明子先生が、神戸大学からの新入会会員として金井美智子先生と阪田紘奈先生と上田香織先生がご挨拶くださいました。

 このたびの30周年では、初代の委員長からは孫の世代に当たるような年代の先生まで幅広い年代の先生方が楽しく集い和やかな時間をもてました。女性の生き方は実に様々、女性はいつの時代も家庭環境や社会事情に翻弄されると言っても過言ではないでしょう。いろんな事情によりいろんな生き方をしている、それが女性なのではないでしょうか。また今回は例年より多くの男性の先生方が参加くださいました。会に男性の先生が多いと女性がより華やぐような気がします。逆もそうかもしれません。これからの兵庫県眼科医会が、男性が女性がと言わずそれぞれの良さを心から認め合い協力しあって、ますます素敵な会に発展できれば素敵だなと思いました。

 七夕の夜に素敵な式典となりました。御参加くださった全ての先生方に深く感謝申し上げます。

 
柴原先生 懇親会ご挨拶


平松先生 懇親会乾杯のご発声
坂井 智代